kinto-unのブログ

中国の小さな会社で働くkinto-unの徒然日記

これはいただけない・・・

加藤嘉一氏、「東大合格はウソ」と謝罪

「中国で最も有名な日本人」といわれる加藤嘉一氏が10月31日、自身のオフィシャルサイトで、「お詫びとご報告」と題する文章を投稿、「私が東京大学に合格・入学した事実はなく、私の過去の言動から皆様に誤解を与えてしまいましたことに、心より深くお詫び申し上げます。今後は、より正確な表記・表現に努めて参ります。そのお詫びと汚名返上に向けて、情報発信者としての責務を果たせるよう、より一層の活動をして参りたいと思います」と謝罪した。環球時報が伝えた。

若干28歳の加藤氏は、北京大学で学び、中日問題について積極的な発言を行い、中国では「中国通の日本人」と評判が高く、日本でも「最も中国を良く知る日本人」と評価されている。日本の週刊誌が加藤氏の「経歴詐称」の数々を暴露したことで、彼に「嘘つき」「ペテン師」というレッテルが新たに追加された。加藤氏が中国で開設している「微博」(ミニブログ=中国版ツイッター)には、約160万人のフォロワーがいる。氏は、日本のオフィシャルサイトに謝罪文を掲載したことに続き、同日夜には中国のミニブログにも謝罪の文章を投稿した。

10月31日に発売された「週刊文春」紙上に、「『中国で一番有名な日本人』加藤嘉一氏に経歴詐称疑惑」と題するスクープ記事が掲載された。記事では、3ページにわたり、加藤氏の学歴や経歴の詐称が暴露されている。加藤氏は中国で、「自分は東京大学に合格あるいは入学したが、東大を蹴って北京大学に留学した」とあちこちで語っていた。例えば、2009年、中国国内メディアの取材に対して、「東大法学部を中退して中国にやって来た」と語った。また、2010年3月にインターネット番組「両会三人行」に出演した時、「私は東大に合格した」と公言している。同番組は、今でもネット上で視聴できる。ある香港メディアは2011年5月、「加藤氏は自分で、スポーツ特待生として東大に合格したと語っていた」と報じた。

しかし、「1980年代生まれ」の日本人ノンフィクション作家・安田峰俊氏が加藤氏の母校の進路担当教員を取材したところ、これらとは異なる事実が判明した。この担当教員は、「2003年に同校から東大に入学したのは、理系の生徒2人だけだった。加藤君は当時、特進文系クラスに在籍していた。東大には合格していない」と述べた。

文春の報道によると、東大のほか、加藤氏は以下4点の経歴にまつわる偽称をしていた。

(1)中国語の著書において「自分は日本政府派遣留学生である」と記述している一方、日本語の著書では、「自分の留学費用は全額中国教育部が負担した」と記していた。

(2)2011年以降、中国語・日本語いずれの著書にも、「北京大学朝鮮半島研究センター研究員」という肩書を入れていた。しかし、今年5月に深センテレビ系インターネット番組「中国時刻」は、「北京大学にはこのような名称の研究部門は存在しない」と報じた。また、北京大学朝鮮語学科も10月31日、環球時報記者に対し、「同学科の朝鮮半島研究センターが加藤氏と共同で研究を行ったことは、過去に一度もない」と実証した。

(3)中国語の著書「中国的邏輯(中国のロジック)」において、「慶応大学SFC研究所上席研究員」という肩書が掲載されているが、実際には、ただの訪問研究員だった。

(4)中国語による自伝「従伊豆到北京有多遠」(伊豆から北京まで、どれだけ遠いか)」に、小学校3年生の時、柔道を3カ月間だけ練習して全国大会に出場、ベスト4入りを果たした」という記述がある。また、日本語の自伝では、この記述は「半年間練習して出場し、ベスト8入りした」に変えられていた。

文春の記事によると、取材中、何度も加藤氏の携帯に伝言を残し、ショートメッセージを送って事実確認を求めたが、彼からは何の返答もなかったという。

実は、加藤氏の中国での経歴偽称については、彼の故郷・静岡県ではかなり前から噂になっていた。静岡県庁地域外交課の職員は、環球時報記者に対し、「静岡県がかつて、北京で物産展を開催する準備をしていた時、加藤氏を『イメージ大使』に起用するという案が出た。しかし、すぐに、『彼の中国での評価はまちましだし、経歴を偽っているという疑いもある』と発言した人がいたため、その案はボツとなった」と語った。

加藤氏は、今年8月から、米ハーバード大学行政大学院・ケネディスクールに短期留学している。また、日本の雑誌に連載を持ち、BS朝日「いま世界は」特派員や日本経済新聞「TheNikkeiAsianReview」コラムニストを担当している。

人民網日本語版」2012年11月1日